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先日から、杉山平一の『映像の論理・詩の論理』創元社を、あちこち寄り道しながらも読み進めている。
「映像思考」のなかの「―絵画の文学化―」にマックス・エルンストが出てきてちょっと驚いた。 <NHKテレビの日曜美術館で、美術評論家という人が、マックス・エルンストの絵に、わけのわからぬ解説をしていた。たまたま、神戸の近代美術館でその展覧会がひらかれていたので行ってみると、なるほど美術評論家には解説は無理であると思われた。エルンストは詩人である。 「磁石が多分近くにあるのだろう」とか、「灰の吸取紙」「赤い牧草」などの題名は、そのまま詩に盗みたいくらいである。美術評論家は、その転写やコラージュの「技術」の解説批評をすればいいのである。> <だいたい、シュールレアリズムにはじまる前衛、抽象絵画というのは、多分に、絵画の言語化・観念化である。言語化とは、文学化といってもいい。 新しい造形芸術には、しばしば文学的思いつきによって成り立っているものが少なくない。それらは文学批評家によって容易に解説され、造形性より、文学的思いつきによって、評判となっている。 京都の国宝展で、雪舟の「天橋立図」を見て、そのガッシリした造形性に感動しての帰り、評判の平山郁夫の「シルクロード展」にふと立ち寄り、その甘い文学臭ふんぷんたるものに目を蔽いたくなった。> なるほど、私には平山郁夫や東山魁夷がどうしても受け入れられないのが解った気がした。 ネットで調べてみると、マックス・エルンストは1976年に死去、翌年の1977年に神戸の近代美術館で回顧展が開かれたとある。 当時私はまだエルンストを知らずにいたし、シュールレアリズムも解らずにいた。 今、神戸で回顧展が開かれるなら飛んで行くのにと残念。 本を読み進めるうちに映画の話が次々出てきて、最近映画に行っていないなあと思う。 そしたら「古書柳」さんのブログに(更新がなかなかされないので見忘れがちなのだが) <シネ・ヌーヴォで川島雄三の『還って来た男』を観る。現在「織田作之助と仲間たち」が開催中で、これはその中の一本。>と、タイムリーな記事が書かれていた。 私も「織田作之助」関連の映画ならぜひ観たいと思い、シネ・ヌーヴォって何処だ。とネットで探して見るとなんと阪神電車の九条駅の近くで、電車で20分のところにある。 織田作原作の映画、『還って来た男』や『夫婦善哉』、『わが町』などは7月で終ってしまっていたが『蛍火』はまだこれから上映される。 今日は井伏鱒二原作、川島雄三監督の『貸間あり』を観に行くことにした。 地下に降りて行く階段の上の看板。 入ると右手に受付がある。狭い。 それでも館内はほぼ満席で、結構ファンがいるのだと妙に納得する。 1959年/東宝/112分/白黒。 フランキー堺、淡島千景、桂小金治、乙羽信子、浪花千栄子、清川虹子、山茶花究、藤木悠、小沢昭一、益田キートン、加藤武、市原悦子など懐かしい俳優達が次々に出てくる。 場所は通天閣を見下ろす高台、夕陽ヶ丘と書かれた棒杭が写っている。 学生役の若い小沢昭一。映画にもう出ていたのだ。 猥雑なドタバタ喜劇が長々続いて、後半観るのに疲れる。112分は長い。 最後に桂小金治の「サヨナラだけが人生だ」のセリフで終了。 疲れたが、家から近いのがなによりいい。 これからもちょこちょこ出かけようと思う。
by k-turezure
| 2013-08-10 22:54
| 絵画、映画、音楽
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Comments(3)
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ふねのふひと
at 2013-08-25 22:51
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1960年代、三宮のセンター街には映画館が存在してた(たしか、向かいには風呂屋もあった)。交代勤務だったので、時々、映画を見に行ったが、アメリカ映画にわけのわからない競技があった。アメリカンフットボールと教えてもらった。その後、職場の組合の委員長は京大アメフトの初代日本人監督と知った。大学では米軍と戦うためのエンジンの設計を勉強してたよし。
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k-turezure at 2013-08-27 10:10
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ふね
at 2013-08-28 17:02
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60年代、周囲に人が密集してた。会社も官庁も人をどんどん採用し、寮に入ったら8畳に4人もいた。風呂屋に行くと、ごろごろ、これまたいたし。そういえば、風呂屋は山本通りの回教寺院の向かいだった。今、なにになってるやろ。
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