今日は大阪の天王寺美術館で開催中の『ボストン美術館 日本美術の至宝』展に行ってきた。
もっと早くに行く予定だったのだが、今日になってしまった。
平日なので少しくらいは、すいているんじゃないかと期待したのだが、大勢の来館者でこれで休日だったらどんなことになっているんだろうと怖ろしかった。
第一章の「仏のかたち 神のすがた」コーナーでは時代も奈良、平安、鎌倉と時代も古く、曼荼羅図や観音菩薩像なども色がくすんでいて、作品を保護する為か照明もぐっと落としてあったりで眼を凝らして見たがよく見えなかった。
第ニ章の「海を渡ったニ大絵巻」では吉備大臣入唐絵巻と平治物語絵巻が、ガラスの中に入れられていて皆はその横を3重4重になってゾロゾロ見て行くのだが、なかなか進まない。でもその絵巻の人物がとても面白いのでいつもはパスするところだが、我慢して皆についてノロノロ行く。
第三章は「静寂と輝きー中世水墨画と初期狩野派」のコーナーで、時代も室町になる。
ここまで来ると作品も大型になって来てやっと少し余裕を持って見れるようになってきた。
そして、第四章が「華ひらく近世絵画」で江戸時代に入る。
ここでは長谷川等伯、宗達派、尾形光琳、伊藤若冲らの煌びやかな絵画に眼を奪われる。
特に尾形光琳の『松島図屏風』は現代絵画と見まがうような大胆な構成と色遣いですばらしい。
第五章は「奇才 曽我蕭白」は蕭白一色の部屋で自由自在に蕭白が踊っている。
時代をニ歩も三歩も先を行ってしまう才能は、悪くすると残らないで終わることもあるだろうが、ここにある多くの大作が自由な鑑賞眼を持つ外国人フェノロサらによって見出されたのは幸運だったのだろう。
なかなか見ごたえのある美術展で、浮世絵展でも感じたが日本の美術の素晴らしさを再認識させられた。
帰りに武庫川で降りて「街の草」に行く。
「久しぶり!」と言われてしまう。
本当に久しぶりだった。
今日はお客も少なかったのでいろいろ話をして帰る。
久しぶりに内田百閒『けぶりか浪か』新潮社 昭和37年初 を買う。
内田百閒は一時はまったが、今は読まなくなっていたのだがこの本は見たことがない。
小島信夫の本が入ったら取っておいてもらうよう頼んで帰る。
なかなか無いそうだが。